ここ2週間ほど、肩の痛みがヒドイ;
仕事が詰まってくると仕方がないんだけど〜。
ところでツイッター。
震災の件があってからこっち、いつもは遠くに感じていた遠方のフォロワーのつぶやきやリツイートがとても有益でした。
ふだんはテレビを見ない私でさえ、さすがにここ数日はテレビをつけているのだけど、
テレビの報道は”垂れ流し”。
何回も何回も流される街を映して、
死んでる母親を発見した小学生の現場中継や子どもの死亡届を出しに行く母を取材とか、どれも現実で見れば見るほど自分まで絶望の淵に落とされそうになるのは私だけではないはず。
テレビだけだと、うっかり国や東電の批判になってしまいそうになるのだけど、ネット上では非被災者には非被災者の役割がある、とかなり早い段階から動きがあったのも興味深い。
自分で情報を選別できるという点に、ネット上の強みも弱みもあるんだなと。
ところで、最近気になる言葉のひとつ「キュレーター」。
本来は博物館などの文化施設において専門の鑑定や研究を行い、専門知識をもつひと(学芸員よりもっと専門的)のことを指すらしいのだけど、ここ最近耳にするキュレーターは、ネット上で正しい情報の選別を行う人を指すそうです。
検索してヒットした情報が「本物」であるとは限らないので、選別というフィルタが必要になってくるのだけど、
このフィルタをうまく機能させることができる知識と人脈を持つ人たちをキュレーターと呼んでるみたい。
キュレーションできてるツイートは、見えないながらも「信用」という実益となって本人に還元されていることと思う。
ツイッター上でももちろん相当のデマを目にしたし、
電力会社のチェーンメールはむしろ大人のほうにこそ回ってしまった事実ひとつとっても、
みんながキュレーターになっていく必要があるんだろうね。
もうひとつ、ネットは仮想世界でなくて、
リアルの延長としての展開の有益さにも気付いた人が多いんじゃないかな。
ワタシも芸名ぽく実名展開して(リアル知人にもネット上の自分を隠してないという意味)、個人的には難民になってる時も確かにあるよ;
夫曰く、「あなたはネット上では本来の姿より自分を悪く見せてるから、相当の誤解が生じていると思う」と。
それが芸風?だから、迷惑かけるけどごめんね、でも止めないヨ宣言してるんだけど、
実際、ツイッターをフォローしてる人から、あのカキコミはまずいんじゃないかとか注意されたり、一連の行動を関係者に確認入れられたり、交友関係を探られたり、です。
訪問先で「ツイッター見たからここにいると思って」と言って声をかけてくれたり、身元隠されて知人にフォローされてたり、本当にあるしな。
それをどう感じたかはまた別の話なんだけども、
それに自分も昔はリアルと全く切り離した世界でマンガ(しかも時々エロまんが)描いてた時代も楽しかったのは事実だけど、
それでももう身元隠した匿名での展開はしたくないんだよね。
理由は簡単、自分がされるといやだから。
ただ、リアルの延長で情報を扱いだすと、自分よりむしろ回りが私にキュレーションを求めてくるのです。
なんだかそれは行動にも影響が及んでくるわけで・・・ちょい疲れちゃったりもしますが、
それはリスクとは思わないことにしてる。
大切な友人たちも見てるかもしれないと思うだけで、悪意の吐露をしなくて済む、
身元を隠してしか言えないことがある人生送りたくないっていう願いも含まれてたりする。
私はここにいるよって発信すると助けに来てくれる人だっているかもしれない、
そういうことだよね。
posted by ホリフミ at 18:18| 熊本 ☀|
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